泣ける地図 -20年前、アデレードで- NHK「世界街歩き」で、 オーストラリアの「アデレード」を紹介していた。 アデレードだ。 アデレード Adelaide 私にとって、大事な街。 いまから20年前。 1992年、アデレードで。 22歳の私。 その両どなりの夫妻。 彼らと出会わなかったら。 ちがう人生を歩んでいただろう。 いま、こうして木工職人になっていなかっただろう。 恩人だ。 人生の師だ。 1992年から1993年にかけて。 オーストラリアを自転車で旅行した。 大学を休学して。 『この先、どうやって生きてくか?』 その答えが見つからなかったから。 向かって。私の右がジェフ・バーンズ(Geoff Barnes)さん。 左が奥さんのヘリーナ(Hellina)さん。 20年前。 オーストラリア、ヴィクトリア州南岸、海沿いの道。 向かい風、小雨降るなか。 荷物満載の自転車を操る私に 「アデレードに着いたら、泊まっていきなさい」 と、値札のような紙片を渡された。 紙片には「Geoff Barnes」と印刷されていた。 それから走ること、数日。 アデレードに着いた。 警察で、その紙片を見せ、道を訊いて。 静かな通りに建つ、一軒の家へたどり着いた。 「Pretty hard way. You're tired,aren't you?」 (道中大変だったね。疲れたでしょ?) 彼らは、数日前と変わらない、満面の笑みで。 私を温かく迎え入れてくれた。 海外の家庭に泊めてもらうのは、これが初めてだった。 暖炉の火で暖められたバーンズ家のリビングで。 私の肩に手を置く、ひげのおじさん、ジェフ。 彼は鍛冶屋さん、鉄のクラフトマンだ。 もらった紙片は、 彼が鉄で作った作品につけるブランド・タグだった、というわけだ。 「好きなだけ泊まっていきなさい」 だから、お言葉に甘えて。 アデレードを出たら、 砂漠地帯を走ることになるので、 そのための装備を買い増ししたり、 道路の情報を仕入れる必要があった“ということもあって”。 “ということもあって”と言ったのは。 ホントのところは、 「居心地が良かった」からだ。 だから、何日も滞在させてもらった。 そんなバーンズ家の一日。 ≫8時 起きて。 シリアルと牛乳、トースト、絞ったオレンジのジュース。 静かで、和やかな朝食。 終われば、ジェフは裏庭に建てた工房で、鉄の仕事をはじめる。 ≫10時 ヘリーナがミルクティーを用意して。 静かで、和やかな休憩。 ≫正午 手づくりのサンドウィッチ。 静かで、和やかな昼食。 ≫1時 ジェフ、工房へ。 ヘリーナ、街の市場へ。 わたし、一緒に市場へ。 ≫3時 工房の庭のテーブルで、ミルクティーを囲んで。 静かで、和やかな休憩。 ≫5時 ジェフ、きょうの仕事を終える。 ≫6時 ワインを前にして。肉と野菜のグリル。 静かで、和やかな夕食。 質素な暮らし。穏やかな日々。 居心地が良かった。とっても。 彼らと出会わなかったら。 ちがう人生を歩んでいただろう。 いま、こうして木工職人になっていなかっただろう。 恩人である。 人生の師である。 あれから、20年のあいだ。 模索に模索を重ねて……。 「この人生で良かった」 そう思えるところまで、やってきた。 ここのところ。 彼らとは、音信不通になっている。 帰国後、10年近くは、 手紙やクリスマス・カードのやりとりがあったけど。 『ジェフとヘリーナ、どうしているだろう?』 そう思って。 「Google Map」の「ストリート・ビュー」に、 バーンズ家の住所を入力してみた。 ありました。 変わらず、そこにありました。 ジェフ。 結局、私は憧れて。 いま、こうして生きています。 とても感謝しています。 ヘリーナ。 サンドウィッチとミルクティーが。 私をここまで、導いてくれました。 とても感謝しています。 手紙、書きます。ひさしぶりに。木工職人として。 12/02/15 edaha-011 こういう旅をしていました。20年前のこと。 ヴィクトリア州の南岸で。このあたりでジェフとヘリーナと出会う アデレードを出発して。 ノーザンテリトリーのウルル(エアーズロック)の近く。 砂漠に、強い風が吹いた日の夕日は格別に美しい これも砂漠のなか。西オーストラリア州。 来る日も来る日も、砂漠のなかを走り続ける 山歩きもしてました。タスマニア島。 歩きでしか行けない、誰もいない海岸で とにかく、あちこち泊めてもらいました。 旅の後半は、かの番組「ウルルン滞在記」みたいだった |
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