彼は、稲妻となって






松本山雅FCの松田直樹選手が、この世を去って、
そろそろ、1か月が経とうとしている。

テレビのニュースでもとりあげられたから、
ご存じ、ご記憶の方、多いかと思う。


「オレ、マジ、サッカー好きなんっすよ」

昨年限りで、J1の横浜Fマリノスを去るとき。
最終戦のスタジアムで、
マイクを前に、ファンに向かって叫んだひと言だ。

その、挑戦的な言いかた。
正直なところ『ちょっと、言葉に過ぎるかな』と思っていた。

しかし、その後、
チームと不和があったのでは?
ということを知った。

そして、不意打ちの戦力外通告だったそうだ。
あくまでも、うわさの域を出ないが。

ならば、わかる。
それでよし、言ってよし、と思う。


松田選手の移籍に関して。
とあるテレビ・ドキュメンタリー番組を観た。

昨年の冬。
移籍先、まだ決まらない彼が、
松本山雅のホームスタジアムを初めて訪れたとき。

そのまなざし、輝いていたように見受けられた。


そして、松本山雅へやってきた。

松田選手が語るところによると、

『チームが必要としてくれたから』

移籍するに、十分な理由だ。



そんな松本のサッカーチーム、
「都落ち」ともいえる、
J2のその下「JFL」のチームにやってきた、松田選手。

半年あまりの在籍期間のなかで、
どれぐらいチームに貢献できたのか。
彼がいる山雅の試合を、
スタジアムでは、1試合しか見たことのない私には、よくわからないが。

彼の訃報に、
スタジアムへと、献花に訪れたサポーターの表情からして、
彼がチームに貢献していたこと、わかった。


彼が世を去ってから、最初の松本山雅FCの試合。

松本のスタジアムに、
試合前、激しい雷雨がやってきた。

たまたま用件の帰り、
クルマでスタジアムのそばを通った。

ワイパーをMAXにしても、視界がきかない雨。
幾度も走る落雷に、思わずブレーキを踏んでしまうほど。


道路から見える、スタンド上の電光掲示板には、
山雅の選手紹介の映像が映し出されていた。


『松田直樹が、空からやってきた』

そう思った。
間違いなく、そうだ。

稲妻のような激しさを持っていた、松田直樹選手。

不本意にも「都落ち」を命ぜられ、
無念のうちに世を去った、菅原道真のように。

雷雲となって、稲妻となって、やってきたのだ。



マジで、サッカーが好きだったのだろう。

きっと、やり残したことがあるのだろう。

もっと、チームに、松本にいたかったのかもしれない。



松田直樹さんへ。

その生き方は、ひとつの生き方として、
じゅうぶんに、成立します。

あなたは、存在を示したのです。

まずは、ゆっくり休んでください。

心から。お疲れさまでした。


11/08/29 edaha-009

「松田直樹Forever Love」の横断幕が
残暑の空に眩しい。8月28日、長野県
サッカー選手権大会、決勝にて
同じく、8月28日。松本市の球技場「アルウィン」で開催された「長野県サッカー選手権大会」の決勝で。試合開始前に、松田直樹さんへの黙とうが行なわれた

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