故・立松和平氏の原稿。これが書かれた2003年当時でも、手書きの原稿はめずらしかった。

遠く、稲妻が走る


部屋が急に暗くなった。

南の窓から、外を眺める。

遠くで、稲妻が走っている。
塩尻あたりか。25kmも遠くの稲光。

遠雷だ。


ふと、小説家の故・立松和平氏のことを思いだした。
「遠雷」という作品が出世作。

昨年(2010年)に、この世を去った。享年62歳。


立松和平さんに仕事をお願いしたことがある。
担当する雑誌に、エッセイを書いてもらうため。

いっしょに温泉に行った。
群馬は草津温泉。

和平さんと温泉街を歩いた。

テレビでおなじみの顔だから、
温泉街をゆく人から、つぎつぎ声がかかる……のだが。
たいてい「あっ……えーと」と、名前が出てこない。

そのたびに、和平さんは
「カヤマ・ユウゾーです」と言って、
オバサンのグループやお年寄りを笑わせていた。

そんな気さくで、サービス精神がある人。
気づかいを忘れない人。

カメラマンが写真を撮りやすいよう、
食事の場が楽しくなるよう、
さりげなく気づかいをする人だった。


編集者にも、気づかい、か?

原稿が早かった。
なにせ、1泊した翌朝にもらったのだ。

ちょっと面食らった。

「立松さん、最速記録です」

和平さんは、目をそらしながら、
「カワハラ君には悪いけど」と、前置きして。

「こういう小仕事は、宿題にしたくないんだ」

ボソッと、しかし笑顔で言った。
そして
「ほかに、本当にやりたいことがいっぱいあってね」

その後、私の仕事のスタイルに少なからず影響を与えた、
和平さんの言葉だった。


そのときの原稿が、手元にある。
(所属していた出版社さん。ごめんなさい)
原稿用紙に手書きされた、400字詰めで6枚とすこしの原稿は、
寝る前の2時間ほどで書き上げられたと記憶している。

こんな短時間で書ける。すごい。

盗作問題で話題となったが、
ものを書く能力として、
すばらしい実力を持った作家だったということを、ここで言っておきたい。


原稿を書いてもらうタネにと、
和平さんと温泉街を歩き、公衆浴場や、外湯をハシゴした。

草津の湯は、たいてい熱い。
45℃や48℃なんて湯もある。

そんな湯に、ヒーヒー言いながら入った。


和平さんが、
「どう、だいじょーぶかい?」
そう訊くので。

「こうして、あつ〜い湯につかっていると
いのちのキケンを、ひしひしと感じまーす」

と、テレビでおなじみの口調をマネしてみた。

和平さんは、上気した顔で、ほがらかに笑っていた。

11/07/22 edaha-007


【付記1】
稲妻って「いなずま」で変換しないと出てこない。
「いなづま」では、ダメ。
“妻”は「つま」で、「すま」ではないのにね。

【付記2】
稲妻って、ナゼ “稲” なのか?
むかしは、この光が、稲に実をつけるのだと言われていたから。
風流な言い伝え。
「稲光」という表現もまた、いいね。

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