アイルトン・セナといえば、マールボロカラーで塗られたマクラーレン・ホンダのマシンを操っていたころが絶頂期だったと思う
木工クリエイター・川原一木 その思考の脈略
カズキの枝葉






そんな仕事がしたい





何年も忘れていたが。最近、ふと。

アイルトン・セナのことを思い出した。

つい先日、5月1日が命日。
1994年のサンマリノ・グランプリでのレース中の事故で
34歳でこの世を去った、ブラジル人F1ドライバーだ。

年間チャンピオン、獲得すること3回。
ホンダエンジンを載せたマシンを巧みに操る、
天才F1ドライバーだった。


実際に、セナの走りをサーキットで観たことがある。

彼の走りは、他のドライバーと明確な違いがあった。

それは、コーナーでのアクセル・ワークだ。

セナは、コーナリングの最中でも、
アクセルを小刻みに踏んだり戻したりする。
だからコーナーで、セナのマシンからは、
「ウァン・ウァン・ウァン」と、唸るようなエンジン音がする。

目を閉じていても『あ、セナだ』とわかる。

そんなコーナーリングの名手だった。
かけ出しのとき。弱小・中堅チームにいたころ。
たとえ、与えられたマシンのエンジンが、パワーに劣っていても。
エンジン・パワーの影響が少ない、コーナーの多いサーキットでは、
上位にくいこむ走りをみせていた。

その、たぐいまれなるテクニックを買われ、
セナは、一気にトップチームのドライバーへと昇りつめた。

“人車一体”となった彼は、多くのレースで、
ライバルとのデッドヒートに勝り、
独走を繰り返し、あまたのタイトルを手中にした。


振り返って。
セナのファンではなかったと思う。

しかし、いまさらながら、セナに憧れる。
正確にいえば、セナの “仕事に” 憧れている。

目を閉じても
『あ、セナだ』とわかるコーナリングのように。
見ただけで『スクエアクラフトだね』ってわかる。
さわっただけで『カワハラカズキの仕事ですね』ってわかる。

そんな仕事がしたい。

11/05/06 edaha-001

【追記-1】
どうして、セナのこと思い出したのか?

鏡に映る、自分の顔を見て。
ちょっと『やつれてるかな』って。
やっぱり、追い込まれてる。バターケース。

あの年。1994年のアイルトン・セナ。
あきらかに憔悴していた。そう見えた。

そこが共通している?
……迷惑ですか?
星空のアイルトン・セナ様。


【追記-2】
“セナの死”といえば。

1994年シーズンのF1中継のエンディング曲の
佐藤準の「a latchkey」と結びつく。
(↑youtubeへのリンクです。音、でます)

「強さの裏には、弱さがある。やがて物悲しく、はかない」
そんなことを感じるピアノ曲、です。