ツール・ド・フランスで筆が止まり、
さあ再起動と思いきや、オリンピックが…。


ご存じのとおり、
オリンピックは4年ごとに開催される。
五輪がくれば、過ぎ去りし4年を思う。

前回のアテネ、その前のシドニーは、
前職である雑誌編集に忙殺され、
オリンピックなんて、ろくすっぽ観ることができなかった。
で、正直なところ記憶がない。
アテネのころは東京に、シドニーのころは大阪に住んでいた。

アトランタは、勤めていた中国料理の店の
休憩室のテレビで、有森裕子さんの優勝を観た。
汗と涙にまみれた彼女と
汗と油にまみれた自分の位置関係を
殺伐とした部屋のパイプ椅子の上で冷静に計っていた。

1992年のバルセロナは、
オーストラリアを自転車で放浪中。
砂漠のなかに張ったテントのなか、ひとりラジオ。
オーストラリア国営放送で、
岩崎恭子さんの金メダルを知った。
電波が弱くて、チューニングに苦労したのを覚えている。


さて、北京オリンピック。
めざましかったですね、女子選手の活躍。

なるほど。『躍進、さもありなん』と合点がいく。

自分より5つから10歳年下の女の子、
つまり、オリンピック選手世代の女性って、
若かりしころから、
不況、就職難、非正規雇用(いわゆるハケンね)と、
キビシイ環境を生きてきた。
だから
「世の中、そんなに甘くない」
という覚悟がある。
したがって、第一線で活躍する女性は、いたって堅実、賢明だ。
日本国内外、いろんな場所、さまざまなシーンで
それを目撃してきた。

バブルの残り香を嗅いでしまった私には
そんな彼女たちが、とっても頼もしく映るのである。


■ 2008/08/28 ■



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Illustration:Motoko Umeda
2008年4月〜2011年3月 工房創成期の軌跡
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そして思考は北京上空へ